2018.12.14金

 〇国立アーカイブにて、牧野省三忠臣蔵」(1910-17頃)のデジタル復元版のお披露目会。当初は全くの無声で上映される昼の回で観るつもりだったのだが、一度会場に来たものの、割りと空いているようだったので、折角だから、この復元版の元素材の寄贈者でもある、先に聴いた片岡一郎さんの説明付きで観賞しようと、夜の回に急遽予定を変更する。時間があり余るので、行きそびれていた千住大橋の石洞美術館のイスラーム陶器展に行く。
 すごく面白かった。僕はほとんどオブジェと化している現代陶芸作品が大好きで、時折観に出掛けているが(そう言えば、先日初めて、出口絵依子作の花瓶を買ってしまった)、古典的・伝統的な作品をあまり鑑賞したことはない。唯一の例外が縄文の土器や土偶だが、これらは伝統とは言えないだろう。今回の催しは、よく見るツイッターで紹介されていたので気になっていたのだが、小規模ながら、これまで馴染みのなかった文様や絵柄が次々と登場して、とても見応えがあり、なかなか興奮させられた。この美術館は企業家のコレクションだが、こうした作品を蒐集してきた審美眼に敬服する。
 行きは日暮里駅から、なかなか来ない京成線に乗ったのだが、時間がありすぎるので、帰りはこのまま芸術センターの脇を通って北千住駅まで歩く。かつて入ったことのあるブックオフは影も形もなかった(別の場所にホビーオフなるものはあった)。途中、アクセスチケットの自販機を見つけたので、安切符を買おうとしたのだが、お釣りだけしか出て来なかった。店舗はちょうどお昼休憩中で、完全にシャッターが閉まっている。掲示板を見ると、まだ四十分近くは開かない。仕方がないので諦めて、駅構内に入るが、乗ろうとしていた常磐線は、なんと車輛点検だとかで、全く動いていない。結局、運転再開まで二十分余り待ち続けた。安物買いの銭失い。泣きっ面に蜂。踏んだり蹴ったりだった。
 途中、神保町を散策した後、京橋に戻る。そして、片岡一郎率いる映楽四重奏団の伴奏で、尾上松之助主演の「忠臣蔵」を鑑賞。素晴らしかった。片岡さんの今日の語りは、僕がこれまでに聴いた活弁の中で、最高の出来栄えで、圧倒されっ放しだった。画面に即した的確な文言、時折混じる文語調、変幻自在の語り口、そして沈黙。どこを採っても名人気芸と呼ぶに相応しい。前に活弁について書いた生半可な文章が、全くもって恥ずかしくなる。
 はっきり言うと、この映画自体は歴史的な意義を楽しむしかないような作品で、観客の予備知識や思い入れと弁士の説明をはなから当て込んでいるから、中間字幕もほとんどなく、ただ観ただけでは、内容はほとんどわからないだろう。また、松之助の他の現存作品のように、大蝦蟇も土蜘蛛も天狗も出て来ないから、今の時点で目を瞠るようなシーンも少ない。むしろ、下手くそな子供歌舞伎の立ち廻りを見せつけられているようなショボい殺陣に唖然とさせられる。目玉の松っちゃんと呼ばれる割りには、大写しが存在しないのは、この時代の歴史的制約なのだろう。無音で観るのは相当に辛い作品だ。
 片岡さんの説明は、そこら辺を笑い飛ばしたりすることなく、最大限の敬意を払いながら、真摯にこの作品に向き合っている。また、ここまでの脚本を書くのは並大抵のことではできない。残されたフィルムも、これほどの盛り立てられ方をされて、発見された甲斐があっただろう。まさに現代に蘇ったと言ってよい。
 なお、元素材となったフィルムは、廃館した映画館より古道具屋に流出した大量の薔薇族映画をアメリカの大学がごっそり購入した際の売れ残りだったそうだ。全く珍妙な話だが、アメリカの大学もすごいことをやるものだと感心する。