2018.12.28金

 〇体の調子が戻らないが、多少は回復したので、仕事の後、映画に出掛ける。渋谷でロブ=グリエを二本。そして新宿のTOHOシネマズに移動して、アリ・アスターへレディタリー/継承」。本当は渋谷でそのまま観れればよかったのだが、渋谷の上映は昨日で終わっていた。場内はほとんど満席だったが、僕の座った席の両隣にはポップコーンを持った男女の若いカップルが分かれて座ったので、一緒なら変わりますと言って、席を交換した。女の方はすごく恐縮して、何度もありがとうございますと言って頭を下げたが、男の方は全くの知らんぷりだった。こういう時にうまく立ち回れれば、格好いいのにね。
 この作品は本年度(今世紀)最高のホラー映画との評判もあるので、ぜひ観たいと思っていたもの。しかし、普通の作品だとしか思わなかった。確かにすごい描写、吃驚する展開もあり、完成度は高い。冒頭から虚構と現実がわからなくなる導入部もいい。しかし、内容的には全く題名通りなので、身も蓋もないという感じがする。もっとも、邦題はネタバレしにくいように曖昧にしたのかもしれないが、製作者たちはどう足掻いても避けられない運命の恐怖を描くつもりだったのだろうから(そして、そこがこの作品の画期性なのだろうし)、その意を汲んで訳してもよかったのに。「悪魔の遺伝」「魔の系統」「先天地獄」とか。あるいは、そのまま「血統」とか「ひきつぎ」とか。
 僕がいまいち乗れなかったのは、オカルト的な悪魔教が、既知のものとして当然のように出て来るからだ。そういうことに興味はあるが、何の執心もない僕には、あっさりとそんな舞台設定をされても、全然ぴんと来ない。文化が違い過ぎる(キリスト教的なバックボーンについて知るのは興味深いとしても)。この作品を絶賛した人はそこら辺は全然平気なのだろうか。そんな素直に感情移入できるものなのか。白石晃士「オカルト」はラヴクラフトばりのコズミック・ホラーの傑作だが、途中でいきなり蛭子伝説なるものが出て来て解説されるのにあれれと思ってしまった。わからなくても、権威付けしなくてもいいと思うのに。「ローズマリーの赤ちゃん」が素晴らしいのは、オカルトの予備知識や思い入れがなくても全然構わないからではないか。