ブログ名について

 初めまして。サキローです。
 今日からブログを始めることにしました。
 書籍・映画・音楽等の感想や、日々の雑感などを、思いつくままに書いていきたいと思います。
 ブログ名はスワヴォミール・ムロージェクの邦訳短編小説から採りました。大学で演劇を学んだ者たちが、大声を出せるという理由で、伝言による電信システムの一翼を担い、電柱として配置されるという不条理物です。原題「W podrozy 」とは「旅先で」という程度の意味なので、単純に「旅の途中」とか「道すがら」としてもよさそうなのに、吉上昭三さんはこれを「旅の道すがら」と訳しました(『現代東欧幻想小説白水社1971)。普通「道すがら」は「旅」に掛からないと思うし、屋上屋を架しているような気もするのですが、本末転倒を強いる社会のグロテスクさを、言葉としてあぶり出しているようにも思えて、非常に忘れがたいものがあります。
 人生は旅とするならば、不条理の旅もまた、人生の一部だと認めないわけにはいかないでしょう。そういう思いも含めて、人生の旅の道すがら、見聞きしたことを記録に留めていきたいと思います・・・・ってのはかなりオーバーですね。
 ところで、ムロージェクと言えば、劇作家として有名ですが、先日(と言っても半年前ですが)、俳優しての彼に触れることができました。
 昨年9月に東京国立近代美術館フィルムセンターで「日本・ポーランド国交回復50周年記念 ポーランド短篇映画選 ウッチ映画大学の軌跡」という企画上映が催されました。そこではアンジェイ・ワイダやロマン・ポランスキが学生だった頃の習作群を観ることができ、大変貴重な機会でした。特に、どう考えてもゲイ・カップルが非寛容社会から迫害されていくさまを象徴したとしか思えないポランスキの映像詩「タンスと二人の男」(1957)とか、好きな女の子を引き寄せようとしてかえって遠退けてしまう男の子のほろ苦い初恋を優しく描いたドロタ・ケンジェジャフスカ(ケンジェルザヴスカとも)の「グーチャ」(1985)には、強い衝撃と感銘を受けました。
 さて、ヌシュ・マイェフスキの「ロンド」(1958)という15分の作品で、ムロージェクは主演を張っています(登場人物は二人しかいないけど)。幾何学模様にテーブルが配置された奇怪なレストランで、一向に注文を聞きに来ようとしないウェイターを、一人だけいる客が追いかけまわすという内容。監督自身による脚本とのことですが、筋立てとしては単純だし、結末も容易に予想できるし、どことなく優等生的で、不条理物としては、例えばカフカ原作のオーソン・ウェルズ「審判」(1963)とか、ムロージェク自身の著作群の、到底足元にも及びません。しかし、ひどく鷲鼻のムロージェクの、大袈裟とも言うべき戯画化された身振りは、やけに印象に残ります。目的が達成された際の勝利の笑顔は、まさに漫画を観ているよう。眼の中に星が宿っているのかと思いました。
 マイェフスキはその後、本国ではスリラーおよび文芸映画の大家となっているらしいですね。日本で唯一紹介されている「アート・オブ・エロス 悪魔のレッスン」(1994)はさておき、代表作という「犯人は罪を盗む」(1969)と、メリメ原作の獣人物「ロキス」(1970)くらいは観てみたいですが。