古記録と活弁

 5月に入ってから、階段より落っこちて右足を負傷、また食中りのために寝込んだりと、立て続けに災難に遭ったおかげで、ひどく体力を消耗、すっかり意気消沈してしまい、当ブログの更新もままならない状態が続きました。それでも、ようやく立ち直って久しいので、書き溜めていた文章を順次放出します。
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 4月23日(もう二ヶ月近くも前だよ)、竹橋の国立公文書館に、春の特別展「病と医療」(無料の上パンフ付き)を観に行ってきました。
 通常は憲政資料の現物などを紹介したりする特別展ですが、今回はテーマを絞っての展示で、疫病の古記録・養生書・医学書・衛生行政の公文書などで構成されています。薬物学との名目(こじつけ?)で、当館自慢の本草図譜類も紛れ込ませてありました。江戸から明治にかけての写本・刊本が中心ですが、こうして並べられると、流石に圧巻。派手さこそありませんが、厚みのある和紙の質感、墨の濃淡と筆圧、のたうつ虫食いの痕などを間近に見ていくだけで、昔の人々の情熱と歴史の重みを感じずにはいられません。将来に繋げるために記録を残しておこうとする先人たちの苦労と献身ぶりにも頭が下がります。各書が今こうしてここに収蔵・公開されるに至った来歴に思いを馳せるのも感慨深いですね。
 内容的にいちばん印象に残ったのは、杉田玄白建部清庵の往復書簡集「和蘭医事問答」(1795刊)でした。初老の奥羽藩医・清庵が送った質問状を、若き江戸の蘭医・玄白が回答するという体裁。「日本にいるオランダ医は外科医ばかりみたいだけど内科医はいないのか」で始まる清庵の質問は、素朴なようでいて、当時蘭方医の置かれた状況を最大限に把握した上での問いであり、だからこそ玄白に丁重な返事を書かせました。二人のその真摯な姿勢は、実に感動的。まさに運命の出会いと言ったところ。
 なお、この書簡集は、やり取りのあった二十数年後(清庵はとっくに没)に、清庵の五男で玄白の養子になった杉田伯元(建部由甫)と、両人の弟子である大槻玄沢らが編集・出版したもので、家塾(天真楼塾)の門人たちに、学問への意欲と心得を諭す教科書として活用されました(ちなみに現物は昌平坂学問所旧蔵本)。ああ、こうして英知は積み重ねられていくのですね。そのことに、さらに感激です。調べてみると、翻刻(日本思想体系)と現代語訳(日本の名著)のあることがわかったので、ちょっと探してみることにします。
 もう一つ、悪徳医師たちを批判した多紀元徳「医家初訓」(1792)にも興味をそそられました。実力もないのに営利や名誉を貪る者、医書を読んだだけで医術を会得しようとしない者、重症患者を他に押し付ける者など、ここで批判される「医賊」のパターンは、医学に限らず、現代にも大いに通じそうな勢いですね。元徳は幕府の奥医師として当時の医学界の頂点に立っていた人物だそうですが、だからこそなされる内部批判だったのでしょうか(それとも一種のエリート主義?)。これもきちんと原文を読んでみたいですね(翻刻本は不明)。
 ところで、私は虫食い本はいくらでも見たことがあるのに、シミ(紙魚)そのものは見たことがありません。そんなに魚っぽく、クネクネしているのですかね。米櫃の中のコクゾウムシ(穀象虫)なら小さい時に見たことはあります。こちらはなかなか可愛らしかったけど、今ではすっかり見かけませんね。お米が農薬だらけだからでしょうか。紙魚もそんなに遭遇したいとは思いませんが、一度くらいは見ておきたい気もします。
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 続いて、門前仲町に移動、マツダ映画社無声映画鑑賞会(第597回「大都ナンセンス映画特集!」) に行ってきました。いやあ、小型の細長いビルの最上階って、なかなかすごい会場ですね。
 実を言いますと、活弁を聴くのは初体験でした。無声映画は結構観ているのですが、フィルムセンターでの鑑賞が多く、全くの無音状態で接することがほとんどでした。しかし、それで十分面白く、さほどの不自由を感じたことはありません。ですから、どちらかと言うと、活弁に対してあまり好意的ではなく、字幕でちゃんと理解できる事柄を、なんでわざわざ説明するのだろうくらいに思っていました。
 もちろん、例えば尾上松之助主演作のように、はなから活弁を当て込んでいて申し訳程度の字幕だけではほとんど理解が困難な作品とか、元々トーキーだったのに音声が失われた(あるいはほとんど聴き取れない)版しか現存しない作品などには、有効というより、決定的に必要かもしれません。また、戦前作品の字幕には、旧字旧仮名どころか、くずし字(変体仮名)がしばしば使われていて、結構読み難いという事情もあります。しかし、前者にはあまり興味をそそられてこなかったし、後者に関しては、アダム・カバット『妖怪草紙 くずし字入門』(柏書房2001)を愛読していた私には、そういった読み難さも一種の楽しみと化していたのです(ところで、以前、池袋東武百貨店江戸川乱歩展に行った折り、乱歩肉筆の色紙に使われていたくずし字が誤って翻字されているのに気が付いて、かなりショックを受けました。文化の断絶とはこういうものではないでしょうか)。
 ところが、実際に聴いてみて、その素晴らしさに驚きました。活弁士は有名な澤登翠さんと、そのお弟子の斎藤裕子さん。字幕の文言を的確に挟みながら、いろいろな声音を巧みに操って、作中人物が口に出したであろう会話を一つ一つ埋めていく。もちろん、間を持たせるために言わずもがなの台詞を口にすることも多い感じもしますが、全体としてすごく洗練されていて、まさにプロの仕事、プロの話芸だと敬服しました。あまりに自然でこなれているので、事前に吹き替えされたものではないかと思ったほどです。しかし、時にはちょっとずれたところ、崩れたところもあって、でもそれがまた、いい臨場感を生み出しているんだな。もっと崩しちゃえばいいのにと思いつつ、崩れすぎても駄目なんだろうなとも思い直し、そのせめぎ合いをも流暢に言い流してみせるのは、やはり技であり腕なんだろうなと感服。勝手な想像ですが、玉石混交だったであろう戦前の活弁士のレベルを遥かに超えているのではないでしょうか。
 斎藤さんの八代毅「争闘阿修羅街」(1938)は、最近脚光を浴びている「昭和の鳥人スター」ハヤブサヒデトの自作自演作(八代はハヤブサの変名)。巨漢・大岡怪童との凸凹コンビで贈る、ユーモアあり、アクションありの、おもしろかっこいい探偵活劇です。後半、小柄なハヤブサが走行車に下からしがみついたり、ビルの屋上から屋上へと次々と飛び移ったり、とんでもない高さに張られたロープを伝って一気に空中降下したりするアクロバット・シーンには、わあすごいすごい、やはり目を見張ります。ほとんどジャッキー・チェンですね。言わば、渡嘉敷勝男主演のジャッキー・チェン映画。ジャッキーはキートンの影響を受けているそうだけど、表情の愛くるしさから言えば、断然ハヤブサヒデトの直系です。
 続いての澤登さんの和田敏三「とろ八女日記」(1938)も、すごく面白かったです。松下井知夫手塚治虫の媒酌人を務めた人)の漫画が原作で、寿司ねたの名前を持つヤクザあがりの面々が繰り広げる、冒険と恋愛の人情喜劇。内容も人物造形もそれなりにふざけたものですが、役者陣が実に生き生きとしていて、それだけで十分に楽しめました。ピンポンパン体操の新兵ちゃん(大岡怪童)と、必殺仕事人における鮎川いずみ山田五十鈴を足したような姐御(橘喜久子)に、石田靖佐藤隆太を加えたような痩せ男(山吹徳二郎)や、小栗旬マイナスⅢ世(正邦乙彦) らが絡みます。特に、橘喜久子の妖艶な雰囲気と、正邦乙彦の眉目秀麗ぶりには、作中の人物たちと同様に、魅了されました。二人の出演作をもっと観たい。ヴァンプ・橘喜久子は戦後は大映で老け役をやっていたらしい。イケメン・正邦乙彦は、戦後はストリップ劇場の演出家として、伝説のジプシー・ローズを育て、内縁の夫となった人と、たぶん同一人物なのでしょう。
 歌舞伎で先代の面影を見たりする伝統があるように、古い映画を観る際にも、そのような観点からの楽しみ方があります。若かりし頃の誰それを見出したりするもよし、誰は誰の子なんてことに思いをめぐらすもよし。いわく、近衛十四郎(&水川八重子)、藤間林太郎、沢村国太郎阪東妻三郎のお子さんは? 澤登さんもそのようなことを楽しく語っていらっしゃいました(橘喜久子は大山デブ子のお姉さんとか)。しかし、顕性遺伝、ホモロジー(相同性)を問う楽しみがあるならば、平行進化、アナロジー(相似性)を問うのも一向ですね。
 ところで、私は常々、チャップリンの女装が黒柳徹子に違いないと睨んでいました。私は元から、タモリの密室芸を終始一貫して評価してきた彼女を尊敬してきましたが、そのように思って以来、彼女がますます好きになってきます。ついでに言えば、ルー大柴三島由紀夫の化身ではないでしょうか。表情の印象が違いすぎるけど、中村敦夫の声で吹き替えれば、ほとんど見分けがつかないと思います。三島は会うと良い人柄だったみたいだし、そのように気づいてから、三島を観る目が勝手に変わってしまいました。
 あらら、澤登翠さんは都はるみに見えてきました。