浮世絵展へ

 日本屈指の浮世絵蒐集家・中右瑛氏のコレクションを展示する二つの展覧会に、続けて行ってきました。
 中右コレクションと言えば、従来から、数多くの書籍の中で、広く紹介されてきたものです。つまり、今まで写真図版などで目にしてきたであろう作品の、当の現物が観れるということになります。
 まずは5月3日、大丸ミュージアム・東京で開かれていた「中右コレクション 四大浮世絵師展 〜写楽歌麿北斎、広重〜」へ。その名の通り、四巨匠の名品が一堂に会した展覧会で、二年前から日本各地を巡回中のもの。170点。前二者の大首絵を始め、富嶽三十六景東海道五十三次、名所江戸百景などなど、見覚えのある作品が目白押しでした。
 冒頭には北斎の「凱風快晴」が2点。いわゆる赤富士ですが、別刷りの青富士があるとは全然知りませんでした。続いて写楽の役者絵・相撲絵が20点。いちばん有名な「奴江戸兵衛」こそありませんが、貴重な写楽がこれだけ揃っているのは、やはり圧巻です(ちなみに「山谷の肴屋五郎兵衛」は北島三郎似)。もっとも、写楽の場合、ひどい褪色、それに何と言っても、売りだった雲母摺りの背景がごっそり剥落しているのは、かなり痛々しいですね。とは言え、二百年前の雲母が剥げない方がおかしいですし、よくぞここまで残っていてくれたと思うべきなのかもしれません。
 歌麿にはあまり興味をそそられませんでしたが、金太郎もどきが海女の乳を吸ったりしている三枚組「あわびとり」は、とても官能的でしびれました。北斎では、いろいろな傾向の作品が散りばめられていましたが、特異な妖怪絵「百物語」全5点の現物を観れたのがよかったです。中判、意外と小さいのですね。広重は今までちゃんと観たことがなかったので、どれも興味深かったのですが、ゴッホが模写した「大橋あたけの夕立」、積もった雪が髑髏になっている三枚組「平清盛怪異を見る図」には、流石に圧倒されました。
 「あわびとり」のポストカードのみ購入。
 続いて10日、三鷹市美術ギャラリーで開かれていた「中右コレクション 幕末浮世絵展 大江戸の賑わい──北斎、広重、国貞、国芳らの世界」へ。こちらの方は総勢42名の作品150余点を幅広く集めたもの。美人・役者・名所絵はもちろん、武者絵・寄せ絵・開国絵までを網羅。昨年京都でも展示。
 こちらも有名な作品が多く、一通り面白かったのですが(北斎「山下白雨」とその別刷りはこっちにありました)、何と言っても素晴らしかったのは、三枚続きの妖怪物ばかりを集めた武者絵のコーナーで、中右さんの「魑魅魍魎の世界」(里文出版1987/2005)などでお馴染みの大作が惜しげもなく並べられています。とりわけ大好きな国芳の、荒波に巨大鰐鮫と烏天狗がまみえる「讃岐院眷族をして為朝をすくふ図」には、大興奮。実物を観れて、とてもうれしい。いわゆるがしゃどくろがぬくっと出現する「相馬の古内裏」もいいですね。その他、国芳囲碁対局を邪魔する化物(「主馬佐酒田公時」)、春亭の大蜘蛛、北鵞の大蛇、芳艶の酒呑童子大首など、豪快な怪作が立て続けです。ずっと見入ってしまい、ここだけでえらい時間を費やしてしまいました。
 芳藤の破天荒な寄せ絵「猫の怪」もお気に入りだったので、現物を観れただけでもう満足。
 ところで、私はいちばん好きな浮世絵師は誰かと問われれば、ほとんど即答で、国周と答えるでしょう。その後で、よく考えれば国芳かなとも思うのですが、やはり国周だなと言い切りたい衝動に駆られます。
 豊原国周(1835-1900)は、芳年・清親と並んで明治浮世絵の三傑に数えられる浮世絵師で、幕末から晩年の明治30年頃まで活躍していました。作品のほとんどは役者絵で、一連の大首絵で名を馳せたことから、「明治の写楽」と呼ばれています。特に、明治2年出版の、その大首絵(大顔絵)22枚シリーズを始め、三枚続きや竪二枚に一人の役者を配してみせたりといった斬新な構図がとても魅力的です。また、見得を切る役者の、凛として凄みのある顔の表情も素敵で、実に惚れ惚れします。色彩の豊かさも見事なものです。一般に明治の浮世絵は、安価になった赤や紫の顔料を多用していることから「赤絵」などと呼ばれて貶められているそうですが、この華美な配色こそ、積極的に評価されるべきではないでしょうか。
 私はもちろん、国芳が大好きで、初期の武者絵や、後の緻密で豪華絢爛な錦絵には、つくづく圧倒されます。この展覧会でも、国芳が最高だと思いました。ことに国芳は、構図や色彩の妙もさることながら、細部の描写が格別で、じっくり眺めていたくなるし、見れば見るほどよくなってきます。そして、新たな発見があります。
 それに比べると、国周の魅力とは、そういう深みにあるのではなく、一瞬にして具現するある種の凄みであって、観る者を瞬間的な悩殺状態に置かしめます。まさに一発勝負の絵。だから、おそらくは好き嫌いがはっきりするだろうし、作品としても、くだらないものは本当にくだらないという感じがします(幕末展にも国周作が確か1点だけありましたが、ちっとも面白くありませんでした)。国周はちゃきちゃきの江戸っ子で、宵越しの金は待たないといった気風を地で行った破格の人物だそうですが、その傾向は作品にも表れているのかもしれません。
 なぜか国周は今でもあまり評価されていなくて、規模の大きい展覧会もほとんど行われていません。それどころか、浮世絵としても今もって二束三文の値段で流通しているのが実態で、言わば簡単に手に入れることのできる作家なのです。もちろん、膨大な役者絵を量産した国周にはそれだけ駄作が多いということの裏返しでもあるのですが、それでも役者の表情は概ね格好いいし、すごい構図や色彩のものもあるし、そもそも明治の浮世絵は摺りや保存状態のよいものが多いし、決して侮るわけにはいかないのです。
 かく言う私も、国周の本物を一点だけ所蔵しています。明治6年興行の歌舞伎「讐亀山新聞(亀山の仇討ち)」を描いた三枚物で、裏打ちなし、仇同士である石井源之丞(二代目沢村訥升)と赤堀水右衛門(五代目尾上菊五郎)が刀で相対する一瞬をとらえたものです。傍らには、ドスを持った丹波やお妻 (八代目岩井半四郎)がはべり、お妻の回想のコマの中に、若徒文蔵(これも菊五郎)が浮かんでいます。
 実物を目にすると、まずはその緊迫感のある構図に打ちのめされるのですが、次第に着物の柄や髪の生え際などの繊細な描写にも目を奪われていきます。近づいて観てみると、菊五郎の真っ黒な着物には紗綾形(雷文繋ぎ)が刻印されていて、反射しているのです。背景の色に木目が浮かんでいるのも、実にいい景色です。近世の木版画がこれほどまでに精緻な表現を達成していたとは(彫師と摺師の腕ですね)、正直言って、驚きでした。
 現物を入手してよかったなと思うのは、浮世絵を裏からじっくり鑑賞できるということです。裏からですと、染料の滲み具合がよく観察できます。裏から透かし見る構図や色も、なかなか味わい深いものです。先の展覧会で物足りなかった点があるとすれば、素敵な浮世絵の裏が見れないこと。まあ、無理ですよね。もっとも、保存のために、厚く裏打ちされているのかもしれませんけど。