2018.11.18日

 〇これから備忘のために、いろいろと考えたことは、どんな些細なことであっても、きちんと書き残しておくことにしよう。記憶力も減退している。感情が高ぶっているうちに。それこそがチャンスである。

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 〇どうにも仕事を辞めたくなってきた。僕は元々やる気などあまりない人間だ。しかし、だからこそ、今の仕事が続けられる気がする。ところが、そんな僕の少ないやる気さえ削ぐような状態になっている。その理由は、自分の都合の好いように予定が立てられなくなるばかりだからだ。そもそもこの仕事を続けているのも、それが概ねできるからである。そのために正社員にもならずに、この身分でいたわけだ。そして、この状態をずるずると続けてきた。
 人手が足りなくて、仕事に出るのはまだいい。そういうこともあるだろう。しかし、人手がたくさんあるのに、予定をつぶされてしまうのは、どうにも腹が立ってしまう。一つには、その人手がいわゆる使えない人のためだ。どんなに人がいても、特定の役割を果たせないならば、結局はこちらが出る破目になる。人手不足解消のために、新しい人を入れても、当面は同じこと。しかし、往々にして、どんなことにでも使えるような新人が入ることはほとんどない。二つ目は、人間関係のごたごたが介入してくるため。誰も休みの希望を出していないのに、ある人が出ると、この人とこの人は組み合わせられないということになって、結局人手不足になってしまう。それで紛糾するのも問題だが、その状態を許すのも問題。だから、何でもできて、誰とでもほとんど揉めたことのない人に皺寄せが来て、尻拭いさせられることになる。馬鹿馬鹿しい。
 そういう状況を打破するために、いろんな人を巻き込んで、引っ掻き回すのが正当だが、そうしようとしても、あまり理解されないし、当面は独り相撲を演じることになる。これまた馬鹿馬鹿しくて腹立たしい。

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 〇人間は人から自分がこう扱ってほしいと思うような体裁で、あるいはそのようにされてきたという体験に基づいて、人をも扱うらしい。だから、人から甘やかされたいと思う人間、それに慣れている人間は、その願望や体験を人にも投影して、人を甘やかそうとする、あるいは甘えることに寛容ないしは無関心になる。ひるがえって自分の場合を考えてみると、僕はしばしば人から優しいと誤解されているが、人のいやがることも、必要だと思えば、平気でさせようとするし、そうしたところで、全然とは言わないが、さほど気にはかけない。パターナリストなのだ。これはやはり、僕はいやなことを今までたくさんしてきたと思っているからだろうか。あるいは、いやなことに免疫がありすぎるからだろうか。もっと言って、いやなことも楽しんでしまおうと思えるからだろうか。その意味では、僕は鈍感な人間(いや鋭敏な人間か)に対して鈍感なのに違いない。