2019.1.28月(続)

 〇さらにもう一題。映画を観るという体験は、それを観た場所と分かち難く結びついているものだ。僕はビデオやDVDやネット配信などで映画を観ることはほとんどない。それは第一には、目の前に広がる大画面で観賞したいという気持ちが強いからだが、第二には、普段に行かない所へ行き、他人と一緒に観るのも、それなりに面白い経験だと感じるからでもある。
 かつて自由が丘の武蔵野館のレイトショーで『恐怖奇形人間』を観た際に、周囲の人たちが終始大爆笑で、歓声を上げ、最後の場面で万歳三唱するのに接した時には、流石に吃驚し閉口した。しかし、ずっと後に同作をシネマヴェーラで観た時、たまに失笑が聞こえるだけだったと比べると、あの時得難い思い出をしていたのだと懐かしく思い出す。あるいは浅草名画座で、先にも話題にした『君よ憤怒の河を渉れ』を観た時は、スクリーンの下を鼠が駆け巡り、誰かの残したお菓子のおこぼれでも預かろうと、時々こちらに近づいて来るのを追っ払いながらの鑑賞で、すごく緊張感を強いられたことを覚えている。だから、僕がこの腑抜けた音楽に好意的なのも、この体験に多分に影響を受けているのかもしれない。ついでに言えば、続く『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』が終わってから外に出ると、師走の夜、辺りは一面の銀世界となっていて、駅まで雪を踏みしめながら帰ったことも忘れ難い。映画館を出た後も、高倉健の世界はずっと続いていた。また、時に昔の映画館では、有名人やら変人やら痴漢やら、様々な人たちとも出会ったりしてきたが(その時の浅草でも不倫の密会をしているらしき人たちを目撃した)、それもいちいち貴重な体験だったと思う。
 僕はかつてピンク映画館にもよく通っていたが、ここでは中に入ること自体が一つの体験であり思い出となっている。痴漢や発展目的で来る人への対応を意識しなければならないからだ。数々の難事にも遭遇した。新橋では、同じ列に座ったおっさんがずっと手淫をしていて、途中急に立ち上がり、スクリーン脇のトイレに駆け込んだ。上野では、三つ隣に座っている人が尺八をされていた。また横浜では、ぐでんぐでんに酔っ払ったおっさんに終映時まで外に出ようと絡まれ続け、「映画を観たいんです」と丁重に断っていたら、最後に逆切れをされた。これはピンク映画館ではないが、銀座のシネパトスでピンク映画特集をやった折り、僕と同じ列に座っていた若い男女のカップルの後ろに、光沢でんすけに似たおっさんが座り込み、途中立ち上がっては、女の人に向けてハアハアと息を吹きかけ続けているのを目の当たりにした時には唖然とした。しばらくはそのままだったが、カップルはそれに気づくと、すぐに別の席に避難したのだが、ピンク映画館ならいざ知らず、ピンク映画を上映するからと言って、一般の映画館まで来て、こんなことをしでかす人がいるのかと吃驚した。同時に、やはり女性は性の対象として、過酷な状況に置かれているのだと、まざまざと思い知った。
 僕が一番好きだったは、浅草シネマと世界館で、ここは一番安いし安全で、スクリーンは小さいものの、映画を鑑賞するには持って来いの劇場だった。トイレに行くには細い長い通路を登ったり降りたりしなければならないが、その雰囲気はまるでショッカーの秘密基地に潜入したかのようで、いつもゾクゾクされられたものだ(世界館の方が長くて良い)。同じ建物内にある浅草新劇場とトイレの水回りはまとめられていただろうから、どこでどう繋がっているのか、いつも気になった。ピンク映画館にしては痴漢の出現率が低い(たぶん)のは、もっと安価で発展場として有名な新劇場が横にあるから、わざわざこちらには寄り道しないのだろう。
 世界館で一番記憶に残っているのは、滝田洋二郎の「下着検札」を朝一で観に行った時だったか、一作目が終わると、最前列の僕の二つ隣りの席に、鼻にチューブをつけて酸素ボンベを引き摺った小太りのおっさんが座ってきた。そして、女のヌードシーンがある度に、「いい肌してんなあ」「いい乳してんなあ」の二語だけを、ブツブツと言い続けた。その声はうざいながらも妙に面白くて、僕は終始笑みを浮かべていた。ところが、次の作品になって、おっさんの隣に痩せぎすの男が座ったのだが、彼はしばらくすると、すごい形相をして、右腕で酸素ボンベのおっさんに何度も肘鉄を食らわせ始めた。おっさんはその度にうっうっと呻いて、ややあって、ほうほうの体で僕の隣席に逃れ移って来た(体力的にすぐに移動できなかったのだろう)。事はそれで終わったのだが、あれは一体どういうことだったのか。痩せ男は好みの席に座られた恨みでもあったのか、あるいはぼやきのBGMが許せなかったのか。また小太りの方も、それ以後はやや静かにはなったものの、まるで何事もなかったかのように、ちょこんと座って映画に没頭していた。その反応の仕方も妙な感じだった。以前にも同じ目に遭ったことがあるのだろうか。のっぺりとしたフワフワ感とエロへの執着。そして、よくわからない確執の交差。僕はそれから立ち去ってしまったが、その日は作品よりも、そのことばかりが強く印象に残った。出る前に例の長いトイレに入ると、本当に異次元の世界に来たような気分になった。ともあれ、こういう会場に入るには、痴漢の対応を含め、何が起こるかわからないという緊張感を伴っている。
 今回、議員会館に入る際の緊張感も、割りと面白いものだったが、こんなにスリリングなのは、やはり普通の映画館ではない場所での上映会が多い。そういう時は往々にして、ただの鑑賞というのではなく、場違い者や異分子になるという覚悟で臨むことになるからだろう(もちろん、そう思わなくてもいいのだが、僕はついこう思ってしまう)。これは対痴漢意識の緊張とは違うが、それはそれで苦しくも楽しい体験には違いない。
 そういう上映会の思い出も、いくつか書いてみよう。やはり宗教施設に入るのには少々勇気がいる。先に触れたように、性的搾取を糾弾する映画を観に救世軍の本部に入った時も、ちょっと緊張していた。中には簡素な祭壇があり、シスターらしき姿のおばさんたちと、制服風のネクタイを着用した同じ格好の青年たちが、合わせて十数人いた。上映前に挨拶したシスラーらしきおばさんがいかにも優しそうだったので、すぐにリラックスはできた。私服の人も何人かいたが、おそらく関係者(信者)でない人は僕一人だけだったと思う。そのアメリカ映画『ネファリアス』は、世界の性的人身取引を告発する前半部と、トラウマを抱いた被害女性が神への信仰に出会って立ち直っていく後半部とに分かれているが、僕はとりわけ後者の過程に興味をそそられた。しかし、ちょっと驚かされたのは、上映後の歓談で、制服で身を固めた青年幹部みたいな人が、キリストへの帰依によって被害者が救済されるというのは一般的に受け入れられないだろうと疑問を呈していたことで、ここは意外に風通しがいいのかなと思った。それとも、僕にはわからないが、細かな教義上の違和でもあったのだろうか(ちなみに、この時、私服のおじさんが、この問題は重要だが、従軍慰安婦問題と絡めて取り扱われることを警戒しなければいけないと、余計なことを述べてもいて、結構保守的なのかもしれないとも思ったりした)。ともあれ、そうした彼らの凛とした態度と優しさには、素直に心を打たれるものがあり、やはり何かの信仰を持った人は、格好がよくて素晴らしいなと感じた。
 ろう映画祭に初めて行った時のことも忘れ難い。僕は最終日に上映される深川勝三の作品を観たくて、前売りを買って出かけたのだが、会場のユーロスペース2Fはいつもの雰囲気とは違っていた。かなりの人が屯あるいは列をなしていたが、そこにいる人のほとんどはろうの人らしく、皆手話で会話していた。時折の咳やくしゃみ、そして笑い声だけしか音は聞こえなかった。何の音声的なアナウンスもなされないので、誰が主催側で観客なのかもよくわからないまま、僕は情報が得られず、結局、最後の最後に会場に入る羽目になった。この時の疎外感は全く貴重な体験で、普段は似たような思いをろう者に強いているだろうこと、あるいは手話が音声言語と遜色のないものだということがよく了解できた。僕にはろう者の知り合いはいなかったし、ろうに関係するものと言えば、ちょっと前に全編手話のウクライナ映画『ザ・トライブ』を観たり、その昔、地球人と宇宙人の会話が手話という設定のSFポルノ(カナダのBL作家キャロ・ソレスが男名義で書いたゲイ・エロティカ)を面白く読んだ程度で、別段近しい接点があるわけでもない。しかし、この会場にあっては、見るもの聞くものが全て新鮮で、一つ一つのことが刺激的だった。その後、酒井邦喜『言語の脳科学』(中公新書)を読んで、手話には日本語の音声をそのままスライドしただけのものとは違って独自の文法体系を持った日本手話があること、また手話が脳科学的には音声言語の獲得と何ら変わりのないことを教えられた。なお、二回目以降の上映回では、音声アナウンスが普通になされていたので、初回だけ、人手不足か何かの事情で段取りが悪かったものらしい。ところで、この時に観た深川勝三の作品は全く素晴らしいもので、特に遺作の「たき火」(1972)は、残された大量のフィルムの断片を近年に繋ぎ合わせたものながら(僕が見れたのはそれでも短縮版)、映画史上の重要作であり傑作だと思う。これは是非とも国立映画アーカイブで収蔵し、復元・保存・紹介されるべき宝だ。
 他に緊張感と言って思い出すのは、渡辺文樹監督のゲリラ的な自主上映会に行った時か。初めて彼の作品に触れたのは、なかのZEROホールだったが、その時は確かに噂に聞いていた通り、会場の周辺には公安警察官のような人が複数立っていたような記憶があり、始まる前から、只ならぬ緊張感を強いられたものだ。もっとも、実際に本物だったかどうかはわからないし、そう思い込んでいただけかもしれない。しかし、その割りには、意を決して中に入っていると、周囲の喧騒(と思ったもの)とは打って変わって、だだっ広い会場に、観客は十数人しかいない。そして、この静かな空間にバランスをとるかのように、監督は上映前から作品の音声だけを大音量で流している。上映が開始されると別に何でもないのだが、始まるまでの違和感は強烈で、これを体験しただけでも、ここに来た甲斐はあったというものだ。その後大分経って、高円寺のせせこましい会場での上映会にも何日間か通い詰め、渡辺監督のほとんどの作品を観ることができた。この時のことなどを人に話したら結構驚かれたのだが、初めて風俗店に行った時と同じで、初回は確かに覚悟はいるかもしれないが、一旦覚悟を決めてしまえば、入るしかないので、実際にはそんなに圧迫感を覚えるわけでもない。『島国根性』『腹腹時計』『ノモンハン』が僕好みで面白かったが、結構荒削りの近作でも、映画を観たという気にさせられる勢いがあり、確かにすごいと感じる。高円寺の時に、少し迷って、本にサインをもらい損ねたのは、ちょっと残念だったと思う。
 ここまで書いてみて反省。僕はどうやら理想家・信仰者フェチらしい。これは言わば心の闇。正しいことかはわからない。。