W.W.W.展へ

 5月31日、映画を梯子している最中、最終日だったことを思い出し、高輪のギャラリー・オキュルスへ「W.W.W.展─渡辺啓助渡辺温、渡辺濟・「新青年」とモダニストの影─長すぎた男・短すぎた男・知りすぎた男」を観に行きました。
 日本探偵小説史上にその名を残す啓助と温の兄弟と、末弟・濟(わたる)による書簡・画・遺品などを集めた展示会です。
 渡辺啓助が鴉の絵を描いていたことは知っていましたが、ちゃんと観るのは今回が初めて。これまであまり興味をそそられてこなかったのですが、いやあ、なかなか素晴らしいですね。特に、背景が極彩色に塗られ、飄々として愛嬌のあるやつが素敵。すごく欲しい。ちょっと飾っておきたいですよ。
 啓助・温の直筆もさることながら、温の七回忌に寄せられた探偵作家たちの色紙にも興奮しました。乱歩や正史のものは何度も見たことはあるのですが、水谷準大下宇陀児海野十三の肉筆は初めてです。海野はものすごく達筆なんですね。
 渡辺啓助と言えば、「薔薇と悪魔の詩人」と称された頃の戦前の初期短編を愛読したものです。すごくゾクゾクさせられましたね。各種探偵小説アンソロジーで読んだのが最初ですが、処女作「偽眼のマドンナ」よりも、角川文庫で初読の「聖悪魔」の方が好き。二十年以上も昔、古本屋でボロボロの桃源社版『地獄横丁』(1975)を見つけた時はうれしかったですね。その後、戦後の風俗小説めいたものも探して読みましたが(借りもので『海底散歩者』とか)、あまりの作風の違いに驚いた覚えがあります。他にも戦後物を数冊手に入れましたが、全て未読のはず。でも、これから読めるなんて楽しみ。かつて『幻想文学』誌に採られた投稿文が渡辺啓助に言及していたのを懐かしく思い出しました。
 最初は見過ごしてしまったのですけれど、入口には渡辺温フロックコートとシルクハットがかけられていました。すごいなあ。温の『アンドロギュヌスの裔』(薔薇十字社1970)は、借りてですが読みました。ちょっと残酷で哀愁のある味わい深い小品の数々。「可哀想な姉」もいいけれど、「影」がいちばん好き。最近、木股知史編『明治大正小品選』(おうふう2006)を通じて、明治大正期には小説や随筆から独立した「小品」というジャンルが形成・認知されていたことを教えられました(水野葉舟は小品作家だったのか)。それ以降も、日本には韻文のみならず、短い散文作品を系譜づけることができますね。小品文から始まって、美文、百字文、散文詩、綴方、二十行小説、コント、掌の小説、夢日記、ミニ・ミステリ、ショートショート、短説、てのひら怪談などから、傑作を網羅した一大小品集成を編んでみたいな、という妄想に駆り立てられました。何年かかることでしょう。もちろん、温は外せません。何を採ろうかな。
 もう一人の渡辺濟は茨城県日立市で開業していたお医者さんで、絵や句もよくしていたという、やはり芸術家肌の人。くすんだ画もよかったですが、「犬と散歩中、すぐ戻ります」と手書きされた札がぶら下がっているのが妙におかしかったです。
 途中、画廊主らしきおばさまに、丁重なお声をかけていただきました。あまり長くはお話ししませんでしたが、後になって啓助のご令女・渡辺東さんだったと知り、驚きました。東さんと言えば、先の『アンドロギュヌスの裔』や、かの『幻影城』誌などで、線描による多くの挿絵を描かれた方。個人的には、双葉新書版の『怪奇探偵小説集』とか、現代教養文庫の『ミステリ百科事典』に載った鬼気迫る(というより鬼気が立ち込める)挿絵が強烈な印象に残っています。四年程前に銀座のヴァニラ画廊で室井亜砂二さんにお目にかかり、長らくお話をさせてもらった時も、そのあまりに誠実で温厚なお人柄に、とても心打たれました。ものすごい絵を描かれる方は、どうしてこんなにも優しい心根の持ち主なのでしょうか。とても真似できません。けれど、すごく憧れます。
 その後、品川駅へ向かいました。途中でグランドプリンスホテル新高輪の前を通過。そこの街路樹の脇にこそっと咲いていた撫子(マゼンタ色)がとても綺麗で、思わずうっとり。
 ここら辺は以前に一度だけ来たことがあります。もう十五年以上も前(1992年)、このホテル(当時は新高輪プリンスホテル)は、エイズ活動家の平田豊さん(テクニカル・ライターとは同名異人)がHIV感染者であることを明らかにする記者会見&パーティを開いた場所。その頃、私は平田さんの周辺をうろついていて、この運動組織の末席に加わっており(立ち上げ時のみですが)、当日も脇の裏口より入れてもらって、会場裏に控えていたのです。その数ヶ月前から、多くの有名人と顔を会わせたりして、すごいことになりそうだなとは感じていたのですが、このホテルに赴いて、本当にとんでもない所へ来てしまったというのが、当時の率直な感想でした。
 言ってもいいのだと思いますが、この会場は、作家(まだ本格的に政治家になる以前)の田中康夫さんがオーナーを口説いて、無償で提供してもらったものなのです(そう言えば、この会見では、パーティと称してマスコミ関係者からも参加費を徴収したので、えらい批判を浴びたりもしましたね)。このことを含めて、宮台真司さんが発言していたように、日本という文脈で、著名人を巻き込むことの力、上からの改革の凄まじい威力を目の当たりにした日々でした。
 そのまま、ウイング高輪WESTへ。ソニー高輪オフィスの入口の垣根を覆っていたほとんど長方形の葉をした柊めいた草に驚嘆する。でも、これはシナヒイラギ(ヒイラギモチ)と言って、ヒイラギとは違うらしい。