2018.12.18火(続)

 〇僕が酒を日常的に飲まないのは(そして自分が酔っ払っていることに多少の抵抗を感じてしまうのは)、父親からの影響に依る。酒ばかりではない。僕は基本的に煙草もギャンブルもやらないが、それも同じ理由だ。僕の父は酒や煙草やギャンブルにとんでもなくだらしのない人間だった。僕はそういう父の行動を嫌悪していたから、僕はそれらを楽しもうとする気や構えを最初から持たなかったし、むしろ積極的に拒み続けた。だから、中毒になる契機を掴むこともなかったのだ。
 父は酒乱とまでは言わないが、その一歩手前くらいにはよく行く人で、自分を律することがまるでできない碌でなしだった。大衆食堂(焼肉屋)の主人でありながら、営業中でも平気で酒を飲んで、夜はいつも酔っ払っていた。大抵は馴染みの客から奢られることがきっかけで(つまり酒代は客持ちで)ガブガブ飲み始め(「俺は売り上げに貢献してるんだ」とよくうそぶいていた)、他に客があまりいなければ、そのままベロンベロンになって、店内で酔い潰れて寝てしまうということを繰り返した。そういう段取りを踏まなくても、忙しくない限りは、結局は自分から手をつけて、酒を掻っ食らってしまう。そうなると、店は切り盛りできずに閉店する他なく、全て母(と僕)が後始末をしなければならなかった。
 上機嫌の時はまだいいが、そうでない時はどうにも手に負えなかった。直情型の巨人ファンだった父は、野球中継で巨人が負けると途端に機嫌が悪くなり、客がいようといまいと、テレビも店頭の電灯も消して、店をさっさと閉めてしまう。また、そういう態度だから時々新規の客と揉めたりしていたが、基本的には小心者なので、何か文句を言われたような時には、客には全く逆らわないが、帰ってから大いに荒れてしまう。大抵の場合、酒が入っているから箍が外れていて、何でもかんでも怒鳴り散らし、八つ当たりして難癖をつけ始める。人を殴ったり、人に向かって物を投げつけるような暴力行為は一応しないのだが、物にはよく当たり、近場にある灰皿やコップを手にしては、畳やコンクリ床に向かって叩きつけて、しばしば割ったりしていた。
 幼い頃、そういう父は僕には恐怖だった。そんな時に近くにいると、確実に絡まれて、大声でどやしつけられる。昼間は黙々と料理の仕込みをしている温和な父だが、その時ばかりは豹変してしまう。父は基本的に子供や教育に無関心なので、僕は父からきちんと叱られたことは、記憶の限り、ただの一度しかないが、理不尽に怒鳴られたことは何千回となくある。大抵は「子供は早く寝ろ」とか「テレビなんか見るんじゃねえ」から始まり、それに怯えて僕が泣いたり半べそをかくと、「男の癖に泣くな」と喚き、その軟弱さを責め始めるという展開になるのだが、七・八歳の時だろうか、一度だけ父の投げた鉛筆立てが狂って僕の足に当たり、僕がいつにもなく泣きじゃくったことがある。その時ばかりは母に連れられて、同じ区内にある母の実家へと避難したのだが、翌日恐る恐る家に帰ってみると、父は何事も無かったかのように、普段の温和しい父に戻って、仕込みの作業をしていた。昨夜のことは全く覚えていなかった(そう言えば、このことを僕は「最近の出来事」とかいう表題の学校作文に詳しく書いて、少し問題になったことがある)。
 父は一日中煙草を吹かしていたが、実は愛煙家ではない。いつも煙草を咥えているだけで、ただの格好つけ、あるいは習慣になっているから吸っていただけだと思う。店内には各テーブルに灰皿が常備してあったから、どこか適当に灰や吸殻を捨てていたが、煙草が燃え尽きたのに結構気づかず、よく火種を落とし、畳を黒く焦がしていた。それよりひどいのは、仕込み中も営業中もずっと咥え煙草をしていたことで(このことで母はいつも父をなじっていた)、たまに中に灰を落っことした料理を提供して、客からひどく叱責されたりもした(もちろん、その客が帰った途端、父は荒れて店を閉めた)。店の客層自体も喫煙者の比率がとても高かった。だから、僕は小さい頃から紫煙を大量に吸わされて、いつも煙たい思いをしていた。高校生の時に、格好つけで煙草を初めて吸ってみた時に、少しも煙たくなかったのに驚かされたものだ。父はその後、腸捻転のために入院した折りに、禁煙せざるを得なくなったが、そしたらそのまま吸わなくなってしまった。ニコチン中毒になるほども吸っていなかったのだろう。
 賭事は、父は基本的にパチンコしかやらなかった。一時期、ノミ行為も含めて、競馬をやっていた時もあったが、すぐにやらなくなった。あれこれ考えたり、手続きするのが面倒だったからだと思う。昼間の仕込みが終わると、母の目を盗んでは、店のレジの有金を持ち出して、パチンコに行ってしまう。営業中でも、客が来そうにないような時には、こっそり姿を消してしまう。僕が高校生の頃辺り、店の経営が立ち行かなくなって、母がパートに出るようになってからは、毎日のように出て行ってしまい、かえって日々の支払いにも困るようになった。その時は小学校低学年だった弟を放って置くわけにはいかなかったので、弟が帰るまでは待ち、帰宅すると、すぐに弟を連れ出して、パチンコ屋へと直行した。そうした一連のことに母は怒ってパートを辞め、父を無理矢理、朝だけバイトに行かせた。それ以降、容易にパチンコに行く暇はなくなったが、父の酒量はますます増えていった。
 僕は小さな頃から家の様々な書類を書かされてきたから、家計の状況も大体把握していた。だから、父が店のレジから無造作に金を持ち出すのを見ては、心苦しくて仕方がなかった。とは言え、父は怖くてたまらない存在だったから、いつも黙って見過ごすだけだった。遠回しに阻止しようとしたこともないわけではない。レジを開かないように細工したりとか、「明日支払いが来る」「お母さんに怒られる」と軽く言ってみたりはした。しかし、そういう時、父はどうにかレジをこじ開けるし、僕にも「うるせえ」「理屈言うな」と一喝して、結局は出て行ってしまう。これが中学・高校時代の僕の、どうにもならない最大の悩みだった。
 だから、僕はいつも父のようになるまいと思い、酒や煙草やギャンブルを憎み、理性的あるいは道徳的に振舞うことに強い憧れを抱いていた。ところが、十歳離れた弟は、僕と違って、父のやることをそっくりなぞるようになった。父と一緒にパチンコ屋に連れ出されるようになってからは、今までしていた宿題をまるでやらなくなったし、仕舞いには父と同様に、レジから金を持ち出すようになった。僕はせめて弟だけは父のようにさせまいと、まさに厳父のように厳しく当たった。しかし、そうして弟と揉めていると、横でうんざりしている父に、「うるせえ」とこれまた一喝されて、父自らがレジから金を持ち出して、弟に与えてしまう。全く空回りの独り相撲だった。その後、大きくなった弟は、父とくだらないことで言い争うようになり、僕がいつも間に入って、仲裁役をしていた。弟がまともになったのは、部活や仕事をするようになってからで、結局家の中だけでは、あるいは僕の頭の中だけでは、何の解決もできなかった。
 僕が気兼ねなく酒を飲めるようになったのは、以上のことを総括あるいは相対化できるようになってからだと思う。しかし、元々体質的に酒が強くて酔っ払わないということも、そのためには幸いだったのだろう。煙草ははなから吸う気はない。部屋に臭いをつけるだけだ。煙草を吸うと落ち着くと言う人は、吸わないでいることの苛々さを自ら招いた結果であって、全く本末転倒な話だと思う。もっとも、人間の文化や本質とは、本末転倒にあるかもしれないとも思うので、要はその輪(悪循環)に入るか入らないかということが重要なのだろう。ギャンブルに関して、僕は全くする気がない。せいぜい何処かに出掛けた記念に(数寄屋橋とか)、宝籤を一枚買ったくらいのことか。夢を買うとはよく言うが、夢を買っていると思っているうちはまだいい。問題は夢でしかないものが現実として生活に君臨してしまうということにある。それが賭事の恐ろしさだろう。
 ところが、落ち着いて考えてみると、僕はこれらを拒絶してきたつもりだが、実際にはそうなっていないのではないかと思い当たる。僕は古本マニアにして映画マニアでもある。家に大量の本を抱え、体調を崩しかねないほど映画を観に行っている。その生活態度は全くの中毒症だ。珍しい本、滅多に観れない映画、そして変わった物に執着し散財してしまう。僕にはそこしか精神の逃げ場がなかったとは思うのだが、見事に本末転倒の悪循環に組している。
 また、僕は基本的にギャンブルを否定し、批判的な態度を取ってきたが、振り返ってみると、僕の人生そのものがギャンブルみたいなものではないか。何の生活設計も展望もなく、行き当たりばったりにダラダラと暮らしている。そして、そのうち自分の才能だか何だかが花開いて、どうにかなるだろうと考えて、やり過ごしている。依拠しているのは自己だとは言いながら、一獲千金の夢を見ているのと大して変わらない。その点では、現実と向き合っていない。あるいは、夢を現実化している。
 僕は父を否定し、反面教師にして来たが、そういう生き方はつくづく不毛なのだと今となって思う。例えば父は(あるいは母も)ひどい丼勘定の人だったので、僕はそうならないように努めて来たはずなのに、結局はやはり丼勘定なのだ。僕は(そして弟も)定期的にお小遣いをもらっていなかったので、計画的な消費行動を日常の習慣としてきっちり習得して来なかった。だから、与えられた範囲や限界の中で、優先順位を考えるということを、ごく自然にこなすことがなかなかできない。こういうことは小さな時から少しずつ訓練していかなければいけないことだと思う。思えば、僕の場合には、人からもらったお年玉も全て親に没収されていたから、思い悩んで高い買物を決断するという訓練もし損ない、それで失敗している気もする。少額であれ高額であれ、子供には定期的に財貨を与えて、自らの責任で消費を経験させ、適切な金銭感覚を育んでいかなければならないのだと感じる。
 思うに、僕の周りにはロールモデルは誰もいなかった。あるいは、僕はあまりに冷めていて、人をロールモデルとして憧れることができなかった。僕はただのアンチとして生きてきたのだと思う。それはそれで仕方のないことだし、多少の意義はあるのだと思うが、だから実際には中身がまるでない。やはり人は身近な人を肯定し模倣して、一廉の人物になった方が生産的であり、幸せなのではないか。アンチばかりで議論することは、問題点の整理には役立つかもしれないが、それ以上の意味はない。それにいつまでも執着していては、話が全く進まないのだと思う。
 ギャンブルにしても何にしても、若い頃から適度に接触して、体験を積み重ねて免疫を作り、節度を守った方がいいのかもしれない。また、手近な所に偶像を作って、それを大事にして生きた方が、結局は正しくて楽しいのかもしれない。僕も今さらながら、どうすれば生産的でいられるのか模索しなければアホだ。そして、先に進まなければ。