2018.12.30日

 〇休みだが本調子ではないので、シネマヴェーラのハリウッド特集に行くのを取り止める。僕は元々ハリウッド映画があまり好きではない。50年代以前の作品の印象でしかないが、決まりきった展開もさることながら、舞台を見せられているような棒読みの芝居と演出が今一つ馴染めないのだ。もちろん、多数の例外はあるし(破天荒な「パームビーチ・ストーリー」は大好き)、きちんと観れば多くの発見があるに違いないのだが、食指が動かなくて、ついつい後回しにしてしまう。何かノルマを課さないと観ないだろうから、今回の特集は僕の食わず嫌いを打破するのに打ってつけなのだが、蓮實重彦選ということで、連日大盛況・大混雑らしい。だから、無理を押してでも行く気にはならなかった。
 蓮實重彦の話はこれまでにも何度か聴いたことがあり、すごく面白いと思うのだが、だからどうしたのいう感じをいつも受ける。一種のこじつけ芸、教養のための教養であって、それを楽しめばよいのだと思う。どうしてこんなに心酔者や取り巻きがいるのだろう。確かに炯眼で、時々はっとさせられることを言っているが、強引で勿体ぶっていて、そして何より下品である。しかも、エリート特有の下品さだ(渡部昇一藤原正彦にも通じるような)。傍流でなら、どんなに見苦しくても、こんな鋭い人もいると感心・感動するかもしれないが、すごい影響力を持っているらしい所が気持ち悪い。もちろん、それも一つのあり方だし文化なのだと思う一方で、その教え子や信奉者たちが日本の映画業界や批評界を席巻している(ように見える)状況は少し怖い感じがする。ハスミンはポストモダニストではないの? 権威や権力にならずにいるというのは、どんなにか難しいことなのだろう。

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〇今日はずっと家に居て、ダラダラ休んでいるつもりだったが、弟も休みで久しぶりにこっちに来るというので、夕方より弟の車に乗って、母と三人で食事に出掛ける。僕は全く気乗りがしなくて、グズってしまったが、結局回転寿司に行く。僕はあまり食べなかった。
 往来の車内で弟と少し話す。最近転職したばかりなのに、また転職を考えている弟に「俺よりずっと高学歴の癖に、なんでこんなくだらない低収入の仕事をしているんだ」と詰問される。確かにその通りなのだが、それがいちばん楽だからと言うより他、言葉が見つけられなかった。
 うちの家系の中でも、僕はいちばん学歴が高い。と言っても、ただの大卒だが、親類縁者の中で高校をちゃんと卒業したのも、僕が初めてだったくらいなのだ。だから、僕は周囲に似たような人がおらず、ただ一人ぽつねんとしていた。学校内でも僕は浮いていて、友達もあまりおらず(作らず)、人から影響や刺激を受けることも少なかったように思う。文学や芸術の内面世界に逃避をしていたものの、あまりに冷めていて、真剣にのめり込めるようなものを持たなかったこともあり、自分が何をどうしたいのかさえ、あまり考えて来なかった。夢想の中では自分は適当に夭折する予定だったのだが、しそうにもないので、何かはしなければいけない。別にやりたいことをするのではなく、ただの仕事・労役と割り切って、生活の糧を得るだけのことはしなければいけない。既に廃業していた親の職業を継いで立て直す気は元よりなかった(むしろ、そこから逃れたかった)。卒業間近に、一通りの就職活動をしてみたが、ちょうどいわゆる氷河期が始まったばかりの頃で、僕のような態度の腑抜けた人間は全く相手にされず、時には辱めや説教を受けたりもした。しかし、それでは全く立ち行かないので、多少のニート生活に陥った後、大した思惑もなく、消去法で今の職に就いた。あれからもう二十年近くになる。
 辞めようと思ったことは何度もあるのだが、母の入院、父の死去、自宅の部分損壊による借金などがあって、先延ばしにしたまま、ズルズルと今日まで来てしまった。次々とくだらない揉め事が起こる職場なので、そんなに愛着があるわけでもなく、何かある度に辞めようと思うのだが、さしあたりの安定にかまけて、一歩踏み出さないままでいる。新しいことをするのは楽しそうな気もする一方、自分のような存在が許容されるのか、そういう場をまた一から作るのか、という不安や面倒臭さがある。
 この職場はいわば下請けなので、身分としては低く、すごく責任があるわけでもない。しかし、常に現場内にあるので、仕事や人間関係の多様な側面に触れることができる。そういう意味では、期せずして、ある種の好奇心や考察癖が満たされる所ではある。特に、僕は普段から偉ぶらないせいか、人からいつもなめられるのだが、そのためにかえって人のいろんな面を見せつけられることが多い。松本清張の人間観察が鋭いのは、戦時中に衛生兵だったことで、軍隊内での身分は低いのに、特殊技術を持っている故に、時には優位に立ち、内部の様々な様相が立体的に垣間見える位置にあることで養われたという指摘を読んだことがあるが(もっとも、清張のものの見方は随分偏っているような印象も受けるが)、似たような立ち位置に僕もあるのだと思う。
 そんな中、つくづく思い知らされたこと、横目で見ながらほとほと呆れてうんざりしてしまったことが二つある。一つ目、人間は慣れると堕落する。例えどんな真面目で誠実な人であっても、時を重ねると駄目になる。僕はこれまでも述べたように、仕事とは苦役であって、しないに越したことはないと考える不届き者なので、委託元の現場内に入って来る新人たちが入社に当たって立派な抱負や強い志を持っていることに新鮮な驚きを禁じ得ないが、僕の観察するところ、そんな人でも長く在籍して仕事に慣れてくると、次第に手抜きをするようになる。もちろん、無駄な努力や動作を省いて、物事を簡略化・効率化するのは必要な成り行きで、してはいけない一線を越えることはそうそうない。ところが、長い年月のうちに、不測の事態が起こって、一時的に超えざるを得ない場合がある。それはあくまで例外の措置でしかないが、久しい間にそういうことが何度も重なると、それが一つの体験となって、段々と例外とは感じられなくなってしまう。そうして鈍麻していくうちに、してはいけない一線を越え、平気で不正を働くようになる。ひどい場合には、自分がかつてそれをしてはいけないと思っていたことすら、すっかり忘れてしまっていることさえある。中島敦の「名人伝」を逆で行っているようなものだ。僕も多少は堕落しているが、あんなに初心で真面目だった人が、どうしてこんなことを平気でするようになったのだろう、こんな人じゃなかったはずなのに、とよく思う。世阿弥の「初心忘るべからず」。始めから初心などなかった僕には、この言葉の重みがさっぱりわからなかったが、なるほどこんな意義深い言葉だったのかと今ではしみじみ得心する。過去を忘れてはいけないのだ。
 ついでに言えば、どんなに長い年月を掛けて、例外的な行為を余儀なくされたとしても、決してブレることなく、例外を例外に押し留め、一線を踏み外さない人も、若干ながら存在する。そういう人は融通があまり利かない反面、やはりすごいと思い、敬意を払いたくなる。僕の推測するところ、そこには別の要因が働いている。それは全く僕の印象や直観でしかないし、具体的なことはほとんど知らないのだが、彼等が常人と違うのは、何らかの信仰心を内に秘めているからだという気がする。良心と言ってもいいが、もっと細かく言えば、絶対的なものに身を委ねることで、自己の限界を知り、自己を制御とする術を知っているからだろう。そういう姿勢が習慣になっているから、自己の無意識な暴走を食い止められるのではないか。ただし、そんな人と言えども、次なる罠が待ち構えている。周囲に一線を越えている人がいる時、あるいはそういった状態が既成事実化している時に、どう行動するかだ。大抵の場合、周囲の状況に感化されて、それに倣ってしまうことの方が多い気がする。「悪貨が良貨を駆逐する」とはよく言ったものだ。かつて悪貨を批判していた人が、いつの間にか悪貨に変わって、同じことをしているのに、幾度遭遇したことだろうか。
 二つ目、偉い人ほど手抜きをし、偉いことに執着する。そして、周囲もそれを下支えしている。日本は基本的に、儒教文化圏年功序列社会なので、長い経験を積んだ者が先輩面できる構造・風潮になっている。そういう権力関係が形成されている所では、下の者は上の者に常に敬意を払わなければならず、また上の者はそう扱われるべく威厳と体面を保たなければならない。そして、ここで問題となるのは、上の者が誤ったことをしても、下の者がそれを無下に否定することはできない状況に留め置かれているということだ。そこでは、上の者も、自分の内面以外に自らを正す緊張感を欠いているので、容易に自分のやりたいことができ、その流れで不正や手抜きも簡単にできてしまう。下の者も、自らの保身のために、上の者の意向を忖度・助長して、その過程で事実を隠蔽したり捻じ曲げたりもできてしまう。もちろん、これは極端な場合であって、そんなに堂々とやれることではないし、例えそれに近い事態が成り立っていたとしても、現実的には、さらに上の者や、別の派閥に属する者から格好の標的にされて、結局は阻止され、足元をすくわれることが多い。また、上に立つ者でも、やはり一廉の人物ならば、そうした一連のリスクを見抜いてちゃんと見抜いていて、そうならない圧力を上から掛けて、未然に防ごうと尽力したりする(ちなみに、現行の安倍政権の暴走や迷走は、これらが全く機能しなかった結果に思える)。しかし、そうした構造自体は、ほとんど暗黙の前提と見做されている。
 僕はニヒリストだが、あるいはそれ故に、これはまずいだろうと思うことについては、いちいち従おうとは思わない。もっとも、一応現実を優先させるべきだとも考えるので、しばしば妥協する。ただし、それはあくまでも妥協であって、一時的・例外的な事柄だとしか思わない。だから、それは常態ではあってはならないと素朴に考えるし、そこまで妥協することはない。妥協に妥協を重ねることはしない。この過程で、僕はしばしば誤解されるのだが、自分の中でそうブレているわけではない。そして、まずいことに立ち向かわなければならないと思えば、平気で立ち向かう。ただ、その際には、かなりの注意を要する。何しろ僕のような下っ端が問題を言挙げすることは、現場内の序列や領分を搔き乱す行為と見做されがちなので、そのこと自体が波紋となり問題になりかねない。そうすると、結局はうまくいかなくなるので、間接的なルートを探ったり、偶然や無知を装ったり、悪意がないことを伝わるように意識したりと、手練手管を弄しなければならない。しかし、それでも秩序を乱したり、上の者の体面を傷つけたりすることに繋がるので、何らかの遺恨は出て来てしまう。僕はこれまでいろいろな所で、些細な揉め事からとんでもない事故も含めて、多くの問題を未然に防ぐことに寄与してきたと思うのだが、例え良い結果になったとしても、評価されるどことか、危険視・厄介視されることの方が多い(かと言って、佐倉惣五郎みたいな殉教者になるのも考えものだ)。もちろん、結果が良ければ、それで僕は十分に満足なのだが、このままではいつまでも同じ苦労が繰り替えされるばかりだと心配になる。
 こうしたリスクはやはり実害をもたらすのか、実際にはいろんな場所で問題視されていて、例えば大きな組織や企業などで、そこそこ偉くなった人たちをあちこちに転属させたり配置換えさせたりするのは、本人の経験知を上げるだけではなく、その自覚を促すと共に、そうしたリスクをリセットさせる効果があるのだろうと推測する。また、新しい人が降臨することによって、上からの改革をしやすくもするのだろう(もちろん、逆にしにくくもなるのかもしれないが)。あまりに巨大で、ある種の派閥が形成されているのなら、横槍が入るという刺激も立派な契機になるだろう(もちろん、逆影響になるかもしれないが)。日本で手っ取り早く改革を実現するのは権力者と友達になることだと宮台真司が言っていたが、全くその通りだ。ただし、組織は大きければ大きいほど、いろんな意味での横槍が入る率が高くなるだろうが、小さな組織ではどうか。あまりに無批判な状態が続くと、おそらくそのまま疲弊し、段々に腐っていくだろう。何らかの拍子で、問題意識のある人が上から降臨して、たまたま持ち堪えるということがあったとしても。
 そんな社会の中で、偉くなるというのは、かなりしんどいことだ。始めからすぐに堕落するような人は、多少は偉くなっても、所詮は先が見えていて、大出世することはないだろうから、あまり問題ではない。堕落する人々を横目で見ながら、それを掻き分けて、自らの位置を確保し、周囲を牽制・統御しながら、自分の体面を守っていく。あるいは、自分の体面を守らすように促していく。自制もあったに越したことはないが、おそらくそれは世の仕組みを知る取っ掛かりに過ぎず、必要なのは外や上からの圧力をうまく取りなしていく身の軽さだ。そのうち、自制(や自省)もどこかに置いて来てしまい、自己の体面と正義がべったり重なって、外から全く見えなくなる。僕はそういう体面にまるで興味はないし、それに付き合わされるのをすごく面倒臭いことだと感じてしまう。謝って済むことなら、さっさと謝ってしまえばいいじゃないか。僕は基本的に、そういう人の体面を実利的にしか尊重しないので、時々へまをやらかしてしまう。組織への愛や忠誠心がないのが(多少の思いやりくらいはあるが)、それに拍車を掛ける。
 そこで、時々自分でも思い、たまに人からも言われるのは、いっそのこと自分が偉くなればいいじゃないか、そうして問題の芽を摘んで、風通しの良い社会や状況を自ら率先して作るべきではないかということだ。確かに、それを否定する言葉を僕は見つけられない(ただ、全体として考えるべきことを個人の責任に帰して口封じを迫るかのような物言いはどうかとも思うが)。バブル期にスルスルと大企業に潜り込んで、そのままズルズル耐え忍んでいたならば、それなりの花は咲いたかもしれない。しかし、そんなことに積極的な興味はなく、興味があるふりをする気もなかった当時の僕には、やはりそんな道を踏み外すことしかできなかっただろう。それはいわば初動の誤りなわけだが、今からだとしても、あらゆる苦難を押しのけて上に立つという信仰的なモチベーションが僕には欠けている。ところで、僕は普段からそういう態度でいるせいだからなのか、往々にして、人から結構なめられてしまう。これはもう芸というか一種の才能じゃないかと開き直るほどだ。それに抗して、威厳を持って、人からなめられないようにする。ああ、なんと面倒臭いことか。
 ダラダラと書き連ねたが、話を元に戻す。弟にはこんな細かい話はしていない。ただ言ったのは、以下のようなこと。まず、僕には身近に自分の将来の参考になる人がいなかったから、自分が社会に出て、偉くなるという姿を思い浮かべられなかった。だから、何をどうしていいかわからず、途方に暮れていた。あるいは、そもそもどうしたいかとも考えていなかった(考えることを避けていた)。そして、そんなよくわからないものに自分を合わせるということに、不安と苦痛しか感じなかった。僕はそこそこの勉強をしてきたが、それは学問に逃避していただけで、役に立てようとするつもりもなかった。僕はどうにも偉くなって頑張るということが性に合わない人間らしい。たまたま運良く偉い人になったとしても、そこで苦悩し、押し潰れて、鬱になったり、呆気なく死んでいるかもしれない。だから、どっちがどうとも言い切れない。僕には偉くなる素質がない。
 要は、僕は自分の内面と社会のあり方がすこぶる乖離していて、うまく適応ができなかった。理想的なものにひどく憧れる一方で、そんなものは現実ではないと絶望するという、どっちつかずの状況にいつも身を置いて、駄々をこねて、同一性の虚妄をめぐって右往左往するばかり。だから、うまく行かなかった。
 ついでに、父のことも話す。父は自分勝手にしかふるまわない碌でなしだった。子供の教育や将来や存在に無関心で、何の指針も与えてくれなかった。父に何かの信念でもあれば、その影響を受けるか、あるいはそれに反発して、自分の道を切り開くこともあったかもしれないが、僕には空っぽの反抗心しか培われなかった。かつて僕のことをウザイと思い、反発していたかもしれないが、そのことだってすごく意味のあることだ。僕にはそれがなかった。しかし、その反面、無関心ということは自由ということで、僕は父のおかげで自由を大いに享受できた。逃避もできたし自問もできた。それは矛盾だらけだが、僕にとってはかけがえのないことだ。
 弟は何を言っているんだという顔つきで、また兄いが屁理屈をこねくり回していると思ったことだろう。ここまで書いてきてよくわかったが、僕は言訳だらけの人間だ。目先の困難を適当に回避する術は心得ているが、それによって問題をごまかし、すり替えている。駄々こねと(内面上の)右往左往は、今も大して変わっていない。本当の困難に立ち向かわないといけないと反省する。