2019.1.21月

 〇職場で上司と久々に言い争いをする。僕は基本的に争いは好まないので、それをなるだけ回避しようと努める。だから、別にこちらが悪いと思えなくとも、多少の理不尽なら我慢をして、問題をなかったことにも平気でする。もっとも、問題があまりに大きくて深刻な場合には、目を瞑ってばかりもいられないが。また、僕はとりあえず問題をなかったことにしても、問題は問題であり、理不尽は理不尽だとは思っているから、そのこと自体をなかったことにする気はない。だから、そんな認識のズレのせいで、時折、思いがけない摩擦を引き起こしてしまう。今日の諍いも、そういう意味では必然なのだが、僕にはいささか寝耳に水でもあった。
 職場で使用している機械(巨大な食器洗浄機)に、ちょっとした問題が生じている。日常的に消費している溶剤(洗剤)の消費量が若干増加しているのだ。その原因は実ははっきりしていて、内部で繋がる配管の一部に経年劣化による亀裂が生じており、そこからわずかながら水漏れが起こって、供給された溶剤も一緒に抜け出てしまっているためだ。このことは既に専門業者による定期点検で指摘されていて、新品との交換を提案されている。似たような配管の破損はこれまでにもあったが、しかし、今回は特に溶剤を含む部分なので、ただの水漏れ以上の経済的損失をもらたすものと考えられた。だから、僕はそのことを問題視し、すぐに修理をしてほしいと方々に言ってきた。ところが、さしあたって機械が使用不能になるわけでもないので、緊急性がないと判断されたのか、そのまま留保されていたのだ。
 余談ながら、そもそもこうした案件はいつも放置されがちで、前に同じような事態が生じた時、千円程度の安価な部品の交換をめぐって、これが定期点検の一環としてその費用内に含まれるのか別会計なのかで、上層部と業者が揉めており、そのまま半年以上もほったらかしにされたことがある。その時はただの水漏れで済んでいたので、僕も基本的には黙認していたが、塵も積もった水道代は馬鹿にならないだろう。また、次第に悪化する一方の漏水を防ぐために、僕だって個人的に、いろんな細工を労して、それなりの出費もしていたのだ。
 ただ、通常の原因としては、こちらの方が考えられる。機械を使用し続けていると、内部の表面にカルキ成分のスケール(水垢)が固着し、そのことによって溶剤が適度な頻度で溶解・噴出されるためのセンサーの感度を鈍らせ、過剰供給をもたらしてしまう惧れがある。だから、定期的に酸性の融剤を使って、スケールを除去し、感度を正常化しなければならない。だから、もし何らかの事情で、それがなされなければ、当然、洗剤の消費量は増大する。そして、過去には、人員付属や業務の過剰さから、それができない時期もあった。しかし、直近では、そんな事態には陥っていない。僕は何日間か置きに、業務の終了時にスケールの有無を確認し、必要に応じて、その処置をし続けてきた。また、センサーのみならず、機械の内部全体にも水垢が溜まっては問題が生じるので、月一回程度の大掛かりな融解処置をし続けてきた。だから、今回の件は、特にそのことが原因だとは考えられない。
 ところが最近、現場内の上司が、事務方に溶剤の発注を依頼するに当たって、洗剤の消費ペースが早まっていることに気が付き、騒ぎ始めたのだ。僕にしてみれば、そんなことは原因も含めて、既にわかっていること(しかも報告してあること)だと思っていたのだが、この情報がきちんと共有されていなかったらしい。僕はこの頃、たまたま上司と顔を合わせることがなく、書き置きを除いて、直接話をする機会もなかったことも一因かもしれない。そして、僕が不在の間に、上司は僕のやるメインテナンスだけでは不十分だから、これから毎日、一日の作業終了時に必ずその処置を行うこと、それを僕に伝え、またそれが誰にもできるように僕に習っておけとの強い指示と伝言を残していった。
 これは少々困ったなと思った。誤解があるのは一先ず置く。それより、これは逆効果になると考えたからだ。先に機械全体のスケール融解作業を行なった際、その直後に、一段と水漏れがひどくなったことに気が付いたのだ。これは大変な事態だと思って、僕はそのことをすぐに直接、事務方(及びそこを通じて業者)に再報告。しかし、例によって、また放置された(そして、そのことも含めて、上司にも言ってあると認識していた)。ところが、その後も注意して観察していると、水漏れの度合いが軽くなっていることに気付き、実は水垢によって、かえって配管の穴や隙間が塞がれているのだと思い当たった。ところで、漏水箇所はセンサーよりも下にある。だから、この場合、センサー部の水垢を落とそうとして、過剰かつ頻繁に融剤を使って、下部の漏水箇所に当ててしまっては、穴をより広げることに繋がり、むしろマイナスになる。そもそも最近、消費量が目に見えて増加したのも、大掛かりな内部洗浄を行なったことが関与しているものと推察された。だから、僕は職場の人たちには、これは微妙な箇所なので、上司の指示には従わなくてもいいと、上司には僕の方から説明するからと言っていた。
 上司と久々に顔を合わせた時、彼の方から、例の指示を激しい口調で言って来たので、僕はそれはしない方がいいと返し、細かな説明をしようとした。ところが、僕がそうするより先に、彼は激高してしまって、このことがいかに大問題なのか、および僕の仕事(スケール落とし)の怠慢ぶりを、すごい剣幕でまくし立て、僕に話を続けさせないのだった。僕は唖然としてしまったが、どうやら僕が彼の指示を否定していたことを、誰かの口からか、事前に聞かされていたのかもしれない。
 彼が何故そのことをこんなに気に掛けているのかというと、事務方から、作業内容が悪いだの無駄使いをしているだのと、一方的な嫌味を言われるのを忌避しているからだ。もちろん、例えそんな言い掛かりをつけられたとしても、合理的な説明なり反論なりをすればいいのだが、よほどのことがない限り、彼はそんなことはしない。元々機械の仕組みを大雑把にしか把握していないので、細かな説明ができないということもあるが、それよりも、領分や体面をすごく気に掛けるので、基本的に上に対しては、表立って反論はしない。と言って、別に敬意を払っているわけではない。実際には、自分よりはるかに年下の、上の面々を内心では軽蔑している(そういう愚痴を何度も聞かされている)。だから、上からの指示に対しては、同時に、理不尽で不当な目に遭っているという屈辱を感じており、また、そんな連中から大口を叩かれたくないと身構え、ムキになっている。だからこそ、かえって異様なまでに忖度をし、相手が求めていないようなことまで気に掛けて、やろうとする。おそらくは自己防衛のために。その動機づけに全てが絡み取られていて、論理もへったくれもないので、いつも話が繋がらなくなる。そして、僕がそこで無遠慮に合理的な突っ込みを入れてしまうと、そのこと自体に過剰に反応してしまう。自分の領分が侵された、あるいは自己防衛が邪魔されたと、憤ってしまうのだろう。
 そもそも彼が機械の仕組みをあまり理解していないのも、その領分意識が関わっている。なまじ機械系の業者が介在しているために、専門的な事柄は自分の範疇ではないと突っぱねていられるのだ。彼にとっては、自分の責任になるかどうかが重要なので、それ以外のことは知ったことではない。だから、驚くほど無関心でいられる。責任を意識するあまりの無責任、職務意識の転倒だ。僕は基本的には知ることは楽しいことだと思うし、また問題とは個々の範囲を越えた所まで理解している方がより解決に近づけると素朴に考えるのだが、彼はいつも、そこで物事を、知識も問題も、いちいちぶった切ってしまう。だから、その理解はおそろしく断片的で、偏った把握や説明しかできない。だから、上に忖度はできても反論はできないし、内輪の知識として自分が知っていることにしか重要視できない。習わぬ経は読まないし読めない(読むのも認めない)。ついでに言えば、その忖度だって正鵠を射ているとは思えないし、相手の領分意識への配慮に対しては敏感でも、個々の中身や範囲については結構お座なりだなと感じる(もっとも、忖度される方は過剰なくらいが心地よいのだろうけれども)。
 僕は一応、相手が不機嫌にならないように予防線を張っているつもりなのだが(これも一種の忖度だが)、今回は最初から内容がほぼ全否定に近いし、また彼がここまで固執しているとは想像していなかったので、見事に地雷を踏んでしまった(つまり、忖度とは過剰でなければ成立しないのであって、僕のやる程度の忖度はインチキなのだろう)。それでも、一応は冷静を装って、それは逆効果の可能性があること、だからそれを毎日実行するのは留保した方がいいことを、何とか口に出した。ここで「何だ、そういうこともあるのか」と一言言ってくれればいいのだが、やはりそんな風にはならず、「そんなことはあり得ない!」と立ちどころに畳みかけるものだから、こちらも次第次第に熱が入ってしまった。ややあって、「水漏れがかえってひどくなったのを確認しているんですよ」と言い返すと、「それで水が漏れるなら、漏れればいいんだ!」。この発言を聞いて、僕は議論を止めた。これ以上続けると、ドツボにはまるだけからだ。普段は多少の摩擦はあっても、上司とはきちんと話せると思うのだが、ここまでこじれると、どうしようもない。こういう場合は、放って置くしかない。
 その後、作業による中断を経て、二時間以上過ぎてから、上司は、僕に「全てを任せるから勝手にやってください」と、まるで腫れ物に触るような丁寧口調で、たらたらと言って来た。妥協してきたのだ。しかし、すごくいやな感じだ。ただ、こういう場合、僕はほとんど腹は立たない。最終的に実を採るには、こうなるしかないと思うから。ただ、結果だけは何とかなったものの、こんな駆け引きやディスコミュニケーションをこれからも続けなければいけないのかと考えると、やれやれと思ってしまう。
 上司がこんなに騒ぐようになる気持ちもわからないではない。こちらはあくまでも下請けの委託作業員の身でしかないが、現場の動向をほとんどわかっていない事務方の職員が、適当な印象や数字だけで一方的に圧を掛けて来るのは、基本的にとても腹立たしいことだろう。しかし、実はそちらもよくわかっていないのだから、非常に丁寧な口調で、理詰めで反論してしまうと、結構突き崩せるものだ。ただ、上には上があり、その意向も忖度されるものだから、最終的にはまた問題が捻じ伏せられて(もちろん、時にはその過程でこちらの非が正されることもあるだろうが)、言うことだけは言えても、そのまま忙殺・黙殺されることの方が多い。結局はその繰り返しだ。本当に徒労ばかりだと感じる。そして、それを打破しようとすると、不本意ながら、事を荒立てる決断をせざるを得なくなる。
 これがいかにリスキーな状況を生み出しているか。例えば、かつて上司が事務方に溶剤の発注をし忘れたことがある。その時かなりボロクソに言われたらしいが、なぜそうなのかと言うと、事務方はさらにその上に対して、自分の管理不行き届きを言訳しなければならず、また業者に頭を下げて緊急発注を依頼して「貸し」を作ってしまうことになるから(その貸しにどんな意味があるのかと思うのだが、実際にそう指弾されたとのこと)。つまり、例によって、体面や面子の問題だ。ところが、よりによって、上司がまた発注を怠ってしまった時、事務方に頭を下げるのがよほどいやだったようで、一切報告せず、次の発注時期まで、水増しして濃度をごまかした。そして、会社の別の部署から強引に似たような溶剤(洗剤)を調達して使用した。そして、それも完全になくなりそうになると、どうせわかりっこないからと、所々で溶剤を抜いて、空のまま機械を動かし続けた。流石にこの時は僕も抵抗し、何度も思い留まらせようとしたが、ほんの少しの間だけだからと容認し、また今さらこのことを明るみに出すと、かえっておかしくなるので、結局は黙って見過ごした。ただし、上司が不在で自分が主導権を握っている限りは、やったふりをしてごまかしていた(いわば二重の裏切りだ)。これは明白な不正行為だが、抜いた溶剤は一部だし、また他の措置もいくつか講じられているので、全体への影響からすれば、ギリギリの所でセーフだったと弁明はできる。ただ、こうなると、溶剤の必要経費はかなり節約され、相当狂っているはずなのだが、事務方はこちらに言われて機械的に発注しているだけなので、減った分には一向に気が付かない(発注される業者の方は当然気が付いていたが、何も言わなかった)。つまり、実際には何の管理もしていないのだ。
 上司もこれに懲りて、二度とこんな事態は引き起こしてないが、似たような不正は、軽いものも含めれば、頻繁に起こっているし、多少は僕もそれに加担してきた。その意味で、僕も間違いなく共犯者だ。僕は決められたルールを形式的に守ればいいとは少しも思っていないので、それがいいのかどうかを常に実利的に天秤にかけてしまうが、それでもルール破りをしたことは肝に銘じなければいけない。これは言訳。ただ、言訳ついでに言訳すれば、どうやっても見過ごせないと思う問題については、僕はあまり躊躇せずに、告発してしまう方に行く。自分の立場が危うくなるのも顧みず、明るみにしてしまったことは、これまでにも何度もある。それでわかったのは、問題が大きければ大きいほど、僕みたいな小童の責任追及など、簡単に吹っ飛んでしまうということだ。むしろ、そんな瑣末なことは、かえって有耶無耶にされる。だから、何の感謝もされないが、迫害も受けなかった。ただ、とりあえずそれらの問題は解決に向かったのでほっとしたが、もし僕が事を荒立ていなければどうなったのだろうという思いは残る。
 しかし、ここで今一度、よく考えてみると、僕の普段のこうした態度こそが、いろんな問題を助長させてきたのではないかという気もする。本当は「ここが問題ですよ」と腹を割って話せればいいのだが、そんなことは難しいことだからと思って、迂回してしまう。その結果、実を採っている気になっているが、本当にそうなっているのか。今の上司は僕より後に来た人だが、最初はもっと真面目で、人の話もきちんと聞く人だった。ところが、次第次第に気を遣わなくなっていき、いろいろな経緯や段階を経て、今のような状態になってしまった。今回のように、いつも理不尽なことを言うわけではないが、時々感情を爆発させて、支離滅裂な物言いをする。ただし、大抵の場合は、後になってから「あの時は感情的になっちゃってね」と反省し、妙になだめようとする。僕もそれ以上は深追いしない。その繰り返しだ。これというのも結局は、僕が要所要所で彼の行動を容認している(と思わせている)ことにあるような気がする。僕はやはり他人と向き合う時、どんな理不尽なものでも、他者の振舞を所与のものとして受け取り、それを前提として自分の行動を決めようとするパターンに陥りがちだ。これはさしあたっての争い事は起こさないが、相手の行為を無批判に追認しているかのような誤解を与えているのかもしれない。僕には全くそのつもりはないし、時々は平気で批判的な態度を取ったりもするが、それは相手を多少は吃驚させたりはするものの、自省を促すようなところには及ぶものではないらしい。人は権力を握ると堕落するものだと思うが、権力者の抑制には何の影響も与えていない。
 また、現場内でほとんど全てのことに通暁しているのは事実上、僕だけなので、半ば仕方なく、人のしないこと・いやがること・面倒臭いことを、それほどいやな顔をすることなく、し続けてきたが、こんな冷めた態度もよくなかっただろう。だからこそ、僕はパターナリストを自称し、人にいろんなことをやらせよう、後輩に業務を引き継がせようとしてきたつもりだが、多少はその方向に行っても、結果としてはうまくいっていない。それは、個人の能力差や性格、あるいは辞めてしまったり等々が、一応は表面上の理由なのだが、僕の態度そのものにも一因がないとは言えない。僕はやはり、そういう際にもに冷めた態度で接しており、相手ができてもできなくても、こんなものかと実は思ってしまっている。これは上司についても同じことで、結局は僕は人がしないこと・できないことの後始末を、つい率先してしてやってしまう。別に相手を信用していないわけでもないのだが、そうしないと物事は進まないし、とんでもない事態になると思うことの方が先走る。そして、これがすごく仇になっている感じがする。人のやる気や切実さ、はたまた責任感や潜在能力を事実上、奪い取っているのではないか。
 冷めた態度からもう一つの問題も生じている。それは僕が妙に優しい人間だと思われていることだ。例えば、上司とパートのおばさんたちとは時々摩擦があり、彼女たちから上司に対する苦情と愚痴を散々聞かされるが、それもそうした認知や誤解が関係している。かつては「癒し系」と呼ばれたこともあるし、僕は「親父ではなくおばさんだ」と言われて、ギョッとしたこともある。人にある種の安心感を与えるということは、とりあえずは喜んでいいことかもしれない。しかし、それは甘く見られているということと裏腹で、実は一部の人は、僕の言うことをあまり聞こうとしない。そんな僕でも、たまには怒ることもあるのだが、普段優しいと思われていると、だからこそ余計に効く場合と、かえって困惑や反発をされる場合と両方あり、その境界線は微妙だ。それに、たぶん父の影響で、僕は元から怒るのが嫌いなのだ。だから、基本的には、何かをさせるにしても、軽い調子でなだめすかして、そのように持って行く方をえてして選択しがちになる。また、そんなに扱いに困るような人でなくても、僕と一緒の時には妙にリラックスしてしまい、ある種の緊張感がなくなっているように感じる。件の上司と一緒の時は、内心不満を持ちながらも、そそくさと仕事を片づけるのだが、僕とする時は、すっかり安心しきって、ゆっくりダラダラと仕事をしているように見える。時間も長く掛かっている。悪意がないのもわかるし、無自覚だと思うのだが、こんな事態に度々遭遇するうちに、何だか損をしているような気分にさせられる。すごくなめられたものだと思うと同時に、僕は人をスポイルする人間、堕落させる人間なのかと考えてしまう。
 上司はしばしば理不尽に怒って、不興を買いながらも、結果として人に仕事を促している。ところが、どうしてもいやだとグズる相手や面倒臭いと思った相手に対しては放っぽり出して、その通りにやらせてしまう(僕も含めて)。翻って、僕はと言うと、人から比較的好かれながらも、なめられ、相手の甘えを引き出して、堕落させがちになる。その一方、相手がいやがろうと、やるべきことをやらせようとはしつつも、基本的には軽く見くびられているので、結局は空回りして、実質何もうまくいかない。上司は基本的に、時流に踏み留まり忖度を拒否する僕を厄介な存在と感じながらも、いろんなことを勝手にやって、細かな問題をいつの間にか解消してくれると思って、「良きに計らえ」と放し飼いにはするが、時折、職務や領分を越えて、余計なことにまで介入してくるので、使い勝手が面倒臭いと思っている(と思う)。僕はこの体制に組み込まれていると同時に、この体制を下支えしている。何とも困ったものだ。
 筑紫哲也はよく「日本では、出る杭は打たれると言うが、実際には出すぎた杭は打たれないので、そうなればいい」みたいなことを言っていたが、あまりに能天気だと思う。これを変えるには、僕が人と直接向き合うこと、そして自分の考えをきちんと伝えること、当面孤軍奮闘する勇気を持つこと、これが解決策か。この日記はそのための整理と演習。